当たり前のことばかり書いてと思う人もいるかもしれないが、自分の頭を整理するためなので・・・。
教育は飼いならす方法という見方もあるだろうが、飼いならす教育というのは、それほど簡単なことではない。どう見ても失敗の確率の方が高い。
普通、教育を受けると、いろいろと問題を発見してしまう批判的な傾向の人間が育っていく。
だから問題を発見されたくない人間たちは、多数の人間達の教育の機会を奪い、批判力の育ちが弱そうな、つまりエリートになれさえすれば満足できる人間達を少人数選んで、高度な教育を与えて、自分達の権力を守る社会を継続しようとする。
もちろん、えらく単純な図式にしているわけだし、敵のように想定しているものがあるのかないのかもわからないのだけど、・・・例えば、北朝鮮の飢餓は、大衆に充分な教育を受けさせたくないという権力者の欲望から生まれているものではないか、みたいなことが浮かぶ。教育を受けられない状態の極端なかたちが飢餓状態。
じゃあ、他の地域の飢餓は、似たようなことで起こっているのか?つまり、教育の機会を奪う施策の極端な成功としての飢餓。・・・ほぼ成功みたいなことの枠に入る層は、どれくらいの数になるんだろう?
世界の食糧は量的には足りているというのは、もう常識になっている。じゃあ、ずっと飢餓が増えることはあっても減らずにあり続けるのは、何によってだ?それが強大な権力を持つ誰かの得になることでなければ、こういう状態の維持は難しい。
もしかしたら、まあまあの生活を送れているこの世界を維持したいという、比較的恵まれた俺達の欲望から生まれているもの?強大な権力を持つ誰か=俺達みんな?
俺には思い当たるふしがあるような気もする・・・
(飢餓のことになってしまったので、もうひとつのブログの方にも転載します)
2008年4月25日金曜日
教育が最大の反撃ということを頭に置きつつ考えると
2008年4月24日木曜日
コスト削減の理想的展開
最も重要なのは、
最も利益を上げる仕事を、できるだけ安い賃金に抑えること。
賃金が地位をかなりの程度表すので、つまり、
最も利益を上げる仕事を最も低い地位に固定すること。
その安い賃金で高い利益を生む層の人数を増やすこと。
それ以外の層の人数を減らすこと。
という意思決定ができる人間達だけが、それ以外の層に残り、
自分がどれだけの利益を生んでいるかなど関係なく、
その計画の進行具合を反映した高い賃金を得る。
そして、その力はどんどん肥大していく。
高い利益を生む層に高い賃金を払うような気配を見せた会社は、
即座に圧力を受けて潰されてしまう。
這い上がってこれるのは、
利益を生む力が高ければ賃金が低く抑えられるというしくみに気づいて、
その仕組みをより強固にすることに高い貢献をする人間達。
という大雑把なことには、実際は、なっていないはずだ。
2008年4月22日火曜日
2008年4月21日月曜日
市場の操作があからさまであるとして
パワー(金)無き者たちが、操作を行っている者たちに流れようとする利益の流れを違う方向に向けるには、どうすれば良いのだろうか。
例えば、今月末から3週間に渡っての、株価暴落への操作が予想されるとしたら・・・利益の一部の獲得に徹するなら、単に同調で良いのだろうか・・・しかし、その利益とは、誰の損失だ?
こう考えていくと、市場以外の道を探すほうが重要な気がしてくる。この社会は、本当に市場無しでは成り立たないのだろうか。その思考も実は、操作ではないだろうか。市場の外側とは、どんなことだろうか。・・・そんなものは、やはり無い?
古典的な共産主義と同じことを語っているのだろうか。
しかし、ガルブレイスだって、警告しつつ死んだのだ。市場経済だけでは、大きなパワーがさらに大きくなり続けるしかないことを。もっと、切実な方に近づけて言えば、生まれた家の経済的条件が、その人の人生の決定要因となってしまうということ。
しかし、こんな単純な事実がうやむやになっているのは、どうしてだ?
SUPERFORTRESS
Superfortressの新しいCDが届いた。
まじめにビジネスとして考えることのできる誰かが、早く彼を支えて欲しい。
幾分かマシな機材と、曲をつくる時間とライブの機会と広告への投資を、ちゃんと回収の計算をして行うことのできる誰か。
投資をするだけで産業になり得るアーティストは数多い。足りないのは、アーティストではなく、他人のアートを理解できるプロデューサーとか金持ちだ。
なぜそれらを産業にしなければならないか。マシな産業だからだ(マシでない産業については、また後日。あるいは、新しいブログで)。
金を儲けたいと思う。最近、特に。
2008年4月19日土曜日
気になった絵画(池田歩)
art_icleという無料のアート雑誌を見ていて、気になったのが池田歩という人のこの絵。
ギャラリーのサイトの紹介文には、「 今回も作家は多くを語らない。寡黙な人、画面も前回と同様、静謐だ。テーマを聞くと、『静かな爆発かな?』と少し笑って答えた。」とあった。
「気持ちがわかるよ」と心の中で答えておいた。
ギャラリーの展示は終わっているけど、静かな爆発シリーズの紹介はまだ残っている。違う画廊での2003年の展示作品もネットにあった。的外れな文章が添えられている悪影響を排除しても、今回の作品の方がはるかにいい。
いくらで買えるんだ? 買えないけど。
2008年4月18日金曜日
憲法第九条の終わりの始まりの終わり近く
合理的人間という言葉に、意味はほとんど残っていない
『やばい経済学』。金銭以外のインセンティブの重要性を知らせることに貢献している本。合理的であるかないかの単純な議論が、経済学の世界でもやっと終わりつつあるのは、この本の影響も大きいだろう。
様々な「理」の組み合わせが刻々と揺らぎ続けている存在が人であるという正しい認識が、もっと広まることを切に願う。
そうしたら、世の中はもっと楽になる。