2008年4月21日月曜日

市場の操作があからさまであるとして

パワー(金)無き者たちが、操作を行っている者たちに流れようとする利益の流れを違う方向に向けるには、どうすれば良いのだろうか。

例えば、今月末から3週間に渡っての、株価暴落への操作が予想されるとしたら・・・利益の一部の獲得に徹するなら、単に同調で良いのだろうか・・・しかし、その利益とは、誰の損失だ?

こう考えていくと、市場以外の道を探すほうが重要な気がしてくる。この社会は、本当に市場無しでは成り立たないのだろうか。その思考も実は、操作ではないだろうか。市場の外側とは、どんなことだろうか。・・・そんなものは、やはり無い?

古典的な共産主義と同じことを語っているのだろうか。

しかし、ガルブレイスだって、警告しつつ死んだのだ。市場経済だけでは、大きなパワーがさらに大きくなり続けるしかないことを。もっと、切実な方に近づけて言えば、生まれた家の経済的条件が、その人の人生の決定要因となってしまうということ。

しかし、こんな単純な事実がうやむやになっているのは、どうしてだ?

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