2008年5月30日金曜日

重喜劇

今村昌平の命日なのでテレビで特集をやっていた。その中で、気になった言葉。昔、確かに何度か聞いたことのあるはずの言葉だけど、聞いて意味を理解したのは、たぶん初めてだと思う。そして、この意味は、もう頭から離れることはないと思う。

次のトレンドは

意見を全く言わないと決意した報道番組(厳密には不可能だけど、言いたい気持ちを懇切丁寧な事実説明に昇華するというような気合を持った感じのもの)。

明らかな嘘ばかり聞かされるより、自分で考える方が、気持ちがいいから。

2008年5月29日木曜日

黒いTシャツと青い人生相談と検索連動広告

Amazonの順位も8万位以下になると、下がる速度が落ちてくる。つまり、その辺には「動きの悪い」本がごっそりあるのだろう。

それで、順位を動かしたい(もちろん上に)欲求にかられて、一昨日から久々に検索連動広告(Gooogle AdwordsとOverture)を出してみた。

前回(発売直後)のときもそうだったが、どうも検索連動広告は、この本の販売に全く影響を与えない。

広告が不出来ということかも知れないが、一番、可能性が高いのが、既に名前を知られている会社の広告でなければ、検索連動広告は怪しいものにしか見えていないということ。

「黒いTシャツと青い人生相談」みたいな本が怪しく見えない紹介は、実際に本を読んでくれた人の感想ぐらいしかないのかも知れない。

ということで、検索連動広告は、あっさりと終了。

2008年5月27日火曜日

で、Amazonのランキング変動の実際

「黒T青人」の場合、最近は1日の間に、6万くらい順位が変動している。

数万位という下位に居る時には、1冊売れるごとに1~2万位上昇し、売れないと1時間ごとに1万位ずつくらいのペースで落ちていく。

もちろん、上にいるほど、1冊売れるごとに上がっていく順位の幅は小さくなる。大雑把に総合すると、1冊売れるごとに順位の数字が20~30%減るという感じだろうか。つまり、100位ぐらいにいると1冊売れれば70~80位くらいに上がる感じ(だったかな?)。

この派手な動きは、かなり興味を引き付ける。気分への影響力も大きい。ということで、落ちてくると、何かしなければいけないような気持ちにもなってくる。検索連動広告を始めなきゃいけないかなと思ったりとか、Amazonの広告枠料金を調べたりとか。

要するに、数字に振り回されている。

冷静に考えると、トップ10に入らない限り、6万位であろうと数千位であろうと、ランキングが影響を与えるということは無いわけだけど・・・

2008年5月25日日曜日

数字はどの程度ドラッグか

Amazonで本を販売していると、どうしてもランキングの数字が気にかかってしまう。

それが今、あまり実感の湧かない大きな数字になっていたとしても、最小の数字の記憶(「黒T青人」の場合、50位くらい)が楔になって、すごくダイナミックな動きのように感じてしまう。

もしもAmazonよりも、ランキング機能が優れたオンライン書店が存在していたら、勢力地図は変わっていたのではないかとも思う。

ランキングだけのことでなく、上下する数字、変化する数字は、かなりの程度感情を動かせるように思う。と書いていると、当たり前のことを書いているように感じてくるけど、数字の力を使いこなしている企業も多いことだろう。

この辺を扱った心理学か神経科学は・・・?

ところで、Yahooが日本でGoogleより強いのは、検索結果に順位の数字が入っているから? ざっと見ると他の国のYahooでは、その数字が有ったり無かったり。有る国では、数字に反応しやすいということだろうか。あるいは、その数字の有り無しがその国でのシェアに影響しているだろうか。

2008年5月22日木曜日

眠る前の夢

どの企業に対しても、「誰かの役に立つことで利益が上がる」仕組みを示したマーケティング・プランが一番通りやすい、ということに意識的になり、その枠組みへマシなことを組み込んでいけば、少しずつ変わるのではないか、と思ったのだけど・・・

2008年5月20日火曜日

世間はほとんど善人ばかり

悪意が動機になっている人間は、ほとんどいない。
自分を善い人間だと思っていない人間は、ほとんどいない。
ビッグブラザー的な存在があったとしても、その動機はたぶん善意だ。

で、善人たちが集まると、こんな世界ができあがってしまう。

その仕組みについて、調べたり考えたりするのが、いろんな人の仕事。

2008年5月17日土曜日

「複数の人間で構成された機関」の最大の機能は

ひとりひとりのリスクを低減することなのだと思う。企業であろうとも、政府であろうとも、自治体であろうとも、家族であろうとも。

不遇のメンバーを生み出さないこと。困っている人間をどれだけ助けることができるか。

話は飛ぶが、例えば年金制度が機能しているかどうかの判断基準は、払った金がちゃんと戻ってくるか、ということではないはずだ。正しくは、今、困っている人間(年金の場合、多くは高齢者)をどれだけ救えているか。

家族に話を飛ばしてみると、家族が機能しているかどうかの判断基準は、きっと、今困っている家族のメンバーをどれだけ救えているか。

会社の基準は、社員をどれだけ助けているか。売上げや利潤はそのためにある程度必要であるものかも知れないが、それらが基準であると言い張る人間が居るとは思えない・・・

2008年5月13日火曜日

「Googleを支える技術」

という本は、知識と理解が追いつかなくて、少しずつしか読み進められないのだが、Googleのロジックとそれが強靭になっていることを理解することはできる。

コンピュータ・システム論の多くは組織論と重なっていて、今の企業体の強靭さを理解する上でも役立つ。

それと同時に、サイバネティックスとか、コンピュータとともに発達した認知論を思い出させてくれる。

つまり、このシステムから生まれる(計算)結果は、決定的につまらない。飛躍が全く期待できない。原理的には、脳とかに近いものではなく、全くの機械だ。歯車を無数に組み合わせれば、期待できる種類の回答しか期待できない。精度と強靭さが高まれば高まるほど、つまらなさは完璧になる。

「知識社会」と勘違いして言われている、全くの「機械社会」。あらゆることの機械化。あるいは無脳化。

漠然と語られ続けられている「閉塞感」みたいなものの仕組みは、単純にこんなところではないだろうか。

「自殺」「鬱」「不機嫌」・・・現代のキーワードを、全てこの単純化で片付けたい欲求にかられる。繰り返しになるが、あらゆることの原因は「勢力を強めているシステム(プログラム)が、決定的につまらない回答しか出せないこと。飛躍を全く求めていないというか、飛躍など不可能であること」。

2008年5月9日金曜日

訂正と反省と間違った救済と

Amazonでの在庫補充されず事件の原因は、どうも、Amazonとは関係の無いところでの人為的ミスだったようだ。出版社から、誤った納品番号で納品されたため、倉庫内で行き場が定まらず、単なるあて先不明の荷物になっていたのだ(結局、今日発見)。

まずは、こういうミスを全く想定していなかったことを反省し、いちゃもんをつけたAmazonのご担当者にお詫びします。

で、不明なのは、関連商品が一気に消えた原因。これについては「システムが自動的に作成するリストだから、どうもできない」と、いつもどおりの返事をもらった。

こっちに誤りがあった後に、こういう想定通りの返事をしてくれると、少し救われたような、安心した気持ちになるのは、どうして? そういう、反省の引き算は人として正しくないのは、わかるのだが・・・

なかなかチップのように、できた人間にはなれませんねえ・・・

2008年5月8日木曜日

マシンにやさしい人間になろう?

たぶんそれが所謂「成功」の秘訣か。誰かが言っていたなあ。「自分をGoogle化しよう」みたいなことを。

そういう本が、SFとか、ギャグとか、シニカルなコメディとかでなくなったんだなあ。

気付くのが相当遅いような気がするけど。

続・クレームが無意味な理由

Amazonでは、何人かが機転をきかせて、コンピュータの指示とは違うことをやってくれたようだ。

で、その結果は、データの混乱により、本が届いていても在庫にならず、しばらく不明のものとして扱われいた。

また、どう関連しているのかわからないが、商品紹介ページの関連本50冊分のデータが突然消滅した。

という皮肉なことに…

素直に学習すべき?

実はますます興味が湧いている。システムの反応に。実際は、システムが反応しているわけではなく、単にプログラム通り動いているだけど。

2008年5月2日金曜日

クレームが無意味な理由

Amazonに何か質問すると回答はバラバラだし、だいたいは質問にも答えていないし、食い違ったオーダーがいろんな担当者から来たり、依頼を受けて緊急納品したらそれが長期間在庫に反映されないとかあって、それらに対していちいちクレームをメールしてきたのだけど、それが無意味な行為であると悟ったのは、つい先ほど。

最近、クレームをしている最中に虚しい気持ちになる人は多くないだろうか。カスタマーサービスという肩書きでクレームを受けている人々には、何かを改善しようという意思はない。会社は、改善のために彼らを雇っているのではなく、単にクレームを受ける人として雇っている。マネージャーに改善の提案などしたら、困った人間を雇ったと思われるだけだ。また、改善のことについて考えるほど、彼らの労働条件は良くない。そんな時間があったら、寝るほうが彼らのためでもある。

クレームをする俺達も、受ける人たちも、ある意味仲間だ。影響力のない、どうでもいい人間達として。

世界は、俺達とは関係のない別のところで動いている。Amazonで考えると、かなりわかりやすい。Amazonは何かと言えば、利益を稼ぎ続けるそのアルゴリズムと、それを駆動するコンピュータ・プログラムだ。それを改善する役割を担った人間達に届かないクレームは、クレームでさえない。彼らにとっては、遠い世界の人間の発散行為みたいなもので、ほとんどはどうでもいい。取り入れる価値があるクレームは、さらに利益を上げることに役立つ情報を含むクレームだけだ。有用なクレームだけを情報として受け取ればそれでいい。その場でクレーム(システムの不備)に対処することなどは、システムに与える負荷やリスクが高すぎるので、禁止事項になっているはずだ。

何よりも一番重要なのは、今利益を出しているシステムが、そのまま存在し続けること。カスタマーサービスは、クレームを弾き返したり、なだめたりすれば、それが彼らの給与分の仕事だ。システムに関わる天上人に静かに仕事をさせさえすればいい。

クレームをたくさんすることは、天上人以外の人の雇用を促進するかも知れないとも思うが、その前に天上人は、クレームをしにくくなる障害を設置する方法を容易に考えつく。もし、あなたが、Yahooなどに何か文句を言いたくなったら、既に大方はそういう仕組みになっていることに気づくだろう。

システムがあなたに希望しているのは、単に、死ぬまで、使える金を使い尽くすことだけだ。システムの大部分をコンピュータが担えば、感情という障害が無い分システムの意思は強靭になる。

多くの人が古臭いと思っている1984みたいな世界が、今頃、かなり現実のものになった。国内的には格差社会とか、世界的には飢餓とか、それらは全て、この辺とリンクしているはずだ。

これをひっくり返すのは、普通に考えて相当大変だよね。システムは既に、天上人のアホな役回りに気づかない頭の悪い人間を、天上人として揃えるというシステム保守体制を完成させつつあるように見えるし。

2008年5月1日木曜日

差別撤廃とお客さま化

ビジネス活動によって、偏見の撤廃に貢献する方法は、偏見を受けている人々を、マーケティングの重要なターゲットに設定すること。