2008年5月13日火曜日

「Googleを支える技術」

という本は、知識と理解が追いつかなくて、少しずつしか読み進められないのだが、Googleのロジックとそれが強靭になっていることを理解することはできる。

コンピュータ・システム論の多くは組織論と重なっていて、今の企業体の強靭さを理解する上でも役立つ。

それと同時に、サイバネティックスとか、コンピュータとともに発達した認知論を思い出させてくれる。

つまり、このシステムから生まれる(計算)結果は、決定的につまらない。飛躍が全く期待できない。原理的には、脳とかに近いものではなく、全くの機械だ。歯車を無数に組み合わせれば、期待できる種類の回答しか期待できない。精度と強靭さが高まれば高まるほど、つまらなさは完璧になる。

「知識社会」と勘違いして言われている、全くの「機械社会」。あらゆることの機械化。あるいは無脳化。

漠然と語られ続けられている「閉塞感」みたいなものの仕組みは、単純にこんなところではないだろうか。

「自殺」「鬱」「不機嫌」・・・現代のキーワードを、全てこの単純化で片付けたい欲求にかられる。繰り返しになるが、あらゆることの原因は「勢力を強めているシステム(プログラム)が、決定的につまらない回答しか出せないこと。飛躍を全く求めていないというか、飛躍など不可能であること」。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

人間らしい人間、人間の良心とは、
機械、プログラムに対するbugなのか、という事を考え、自分もこんなエントリーを建てたのではないかと、読ませていただき思いました。
http://tabakodaisuki.cocolog-nifty.com/take/2008/05/vs_9487.html

outsidervoice さんのコメント...

「感情」ってなんでしたっけ?・・・そういえば、自分は全然、答えられません。もう1回、ごくごく基本的な疑問から始めればいいですかね。

匿名 さんのコメント...

「感情」って、最初から備わっていないものが、そうなのではないかな、と。計算できない、数値化する事が無意味なもの、とか。
K・ヴォネガットのデビュー作「プレイヤーピアノ」から一貫している?テーマ、「人間は、不完全な機械だ」って、考えると。「感情ある故に、不完全だ」と。
最初は、「キカイダー」は「ピノキオ」だ、ってやろうとしたら、Wikiなどに、もう書いてあったので。
「ピノキオ」のジェミニは、コオロギなんですよね。
ジェミニが、教育する。
「効率」を考えると、ジェミニ、教育、良心、感情って、邪魔なのではなく、いらないんですよね。
でも、「マーケット」って、教育、良心、感情があって成立するんですよね、多分。それを、「システム」が機能させなければいけない、ってところが面白いんですよね。決して「制御」ではないんですよね。「マーケット」に関していえば。「機会均等」だけ与えればいいというか。
「恐怖」という感情を、市場から読み取り、「ロスカット」する「システム」があり、それが連鎖して「暴落」を呼ぶ、みたいな。
イエッサーは完全なもの。しかし、ジェミニは不完全。イエッサーによってウソを憶え、そして・・・。
一つの啓示を含んでるような気がしました。大昔の漫画なのに。